死にたい!生きることが辛い!私もそう思っている【生きること】

 これを観ている人は、「死んでしまいたい」、「生きることが辛い」と心から思っている人だと思います。

 

そんな人の心を少しでも「生きる」方向に導いてあげれればと思い書いています。

 

いや、「今日は生きてみよう」と思い止まっていただければ幸いです。

 

 生きている意味を探してネットで検索してみたり、日々の生活のなかで「自分の価値」を探し求める毎日。

そんな日常を過ごしている人もいらっしゃると思います。

 

まずは、「あなたに出会えたことにありがとう」を言わせてください。

 

感謝しています。

 

ネットを通じてでも、同じ悩みをもった1人の人に出会えることが私の価値を感じることだから。

 

 今読んでいる方に「共感してほしい」という気持ちと「同じ悩みを抱えている人がいる」ということを知ってほしいのです。

 

ただ、それだけです。

 

 私が、強く言いたいことは「生きる意味を探し続けましょう」ということ。

 

「一緒に生きてみましょう」と声を上げる事ができない自分は情けないですが、このブログを通じてメッセージを発信していきたいと思います。

このブログは、「東北を元気にする」ということを目的に開設しました。

そして、東北は震災で多くの方が亡くなった地域。

そして、岩手は自殺率が2位と全国から見ても高い水準の県です。

 

そして、私も岩手県民であり、自殺を考えた一人であるということ。

 

このブログのなかで、「生きること」について語る意味はそこから来ています。

 

ここからは、私のことを少しお話させてください。

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「死にたい」理由は自分に価値を感じないから

私は、親が嫌いでした。

親からの圧力。

話し方。

 

私は、親のすべてが嫌いでした。

 

全ての始まりは、「親との確執」から始まっていると今では感じています。

 

学生の頃から、親とほとんど話もせず、大人になって家業を一緒にするようになってもそれは続いていました。

 

その頃には「生きている意味」がわからなくなり、「いつ死んでもいい」というのが口癖。

生きることすらめんどくさく感じられる日々。

 

「家出をしよう」と思っても、なにかにつけ理由を探し、結局は何もしない自分も嫌いになっていました。

 

「なんでこんなに勇気がないのか」、「どうして行動できないのか」、そんなことを考える毎日でした。

 

「自分が嫌いで嫌いでしょうがない」

「こんなはずじゃない」

 

そんな事を毎日考えては、日々が無駄に過ぎていくような感覚を感じながら生きてきました。

 

キッカケは「親との確執」な訳ですが、そんなことでさえ自分を苦しめる材料になっていました。

 

きっと、そんなこと考えたことが無い人は「自分が嫌いなら変わればいいじゃん!」と思うでしょう。

 

そんなポジティブなことは考えられないから「死にたい」と思うことを理解してください。

 

私の大きな転機は、3.11「東日本大震災」。

 

大地震と共に、大きな津波によって多くの方が亡くなったあの震災。

 

その時、私は家を出ることを決めました。

 

「数年たった今は、何か変わったか?」と聞かれればそんなに劇的な変化というものはないといえます。

 

結局、自分が嫌いなんです。

結果的に「親に背を向けた」自分が嫌いなんです。

 

こうやって、自分をどんどん嫌いになっていくんです。

 

「自分に価値がないんじゃないか?」という問いに、いつまでも答えが出ないでいる状況が続いてしまうんです。

 

これが「死にたい」、「消えてしまいたい」という気持ちにさせてしまうんです。

 

「そんな自分を救うことはできないのか」

 

私はそう考えるようになりました。

 

そんな時、私はこんな体験をしました。

私は、人を救うことで自分の価値を感じられた

 これは、私にとって大きな変化でした。

 

自分のことを人と比較し、すべてにおいて自信が持てなかった私にとっては、大きな転機と思っています。

 

 最近の話ですが、同僚を理不尽に扱っていた会社に対して行動をおこし、私はその責任をとって退職しています。

 

この行動の賛否はどうでもよくて、この行動から自分が感じたことに意味がありました。

 

 私の後輩ということもあり、その人を擁護し、結果的には会社を辞めることになった訳ですが、「私が確実にそこに存在していることを実感できた」ということ。

 

 今までは、自分がこの世界に存在していることが意味がある事なのか、その価値があるのかということに悩まされてきました。

 

ですが、この瞬間だけは世界が違うモノに見えたのです。

 

会社という組織からの世界とは違った、人間の世界からの視線と言えばいいのでしょうか。

 

人と人が共存している地球からの世界を少しではありますが、垣間見れた様な気がしたのです。

 

世界が広く見え、そして、「自分にでも変えられることがあるんだ」と実感できた瞬間でもありました。

 

「人のために何かすることに意味があるのかな」という自問自答の様な言葉が、私の中に生れた瞬間です。

 

そして、今はこのブログを通じてその答えを探しています。

 

今もまだ、その答えにたどり着いてはいません。

 

これが、私の現在の状況です。

 

「生きる意味」の答えを出す事より、探し続けることが大切

 私は、生きる意味を今もまだ探しています。

「生きていてよかった」と思える瞬間に、もう一度出会えるように。

 

それが「死にたい」と思うことの抑制にも繋がっています。

 

 「生きる」ということは、私にとって当たり前のことではなく、「死にたい」という言葉と同じくらいに重みのあることなんです。

 

そして、今このブログに奇跡的にたどり着いた人も同じような感覚を感じているのではと思います。

 

 私達はすぐ答えを出したがります。

 

 例えば、論文や医療研究などもかなりの時間をかけ、実験と試行錯誤を繰り返し答えであろう事柄を導き出します。

 

それが「生きる意味」の答えを出すとなれば、数年、数十年では答えを出してしまうのは早すぎると思いませんか。

 

 私達の出そうとしている答えは、そんな短期間で出せるような「問い」ではないのです。

 

「一緒に探究してみませんか?」

 

 皆さんも、世界に伝えたいことや自分の現状を話したいという気持ちもあると思います。

 是非、話してみてください。

 

 そんな場を提供しているハートネットという掲示板があります。

 

自殺を考えている人たちの投稿や大切な人達を無くされた人の投稿を見ることもできます。

 

「自分だけではない」ということを感じられるキッカケになるかもしれません。

 

そんな方々の世界を知ることができるのがハートネットの良い所です。

是非、ご覧になってみてください。

 

 

そして、最後に。

 

 「私と一緒に、生きる意味を探していきませんか?」

 

どんな状況であれ、生き抜いてみませんか。

私がそうだったように、ひょんなことから自分の価値を感じられることが起こるかもしれません。

死んでしまえば、そのチャンスさえ失ってしまいます。

 

チャンスは平等にあります。

あなたの見ている世界を、少しだけ違う視線で見れたとき、世界が広いことに気付くことができるはずです。

 

そのチャンスをつかむために、生きる意味を探して生き抜いていくことが必要です。

 

 「生き抜くこと」

 「生きる意味を探すことをあきらめないこと」

 

これが、私が伝えたかったことです。

 

皆様の貴重なお時間を使い、最後まで読んで頂いてありがとうございました。

このブログが何かのキッカケになることを祈って、今回はここまでにしたいと思います。

 

「ありがとうございました!」

 

noteで震災経験談なども書いています。

宜しければ、そちらもご覧ください。

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